ヒエラポリス・パムッカレ観光

mireina2008-02-25

08:00 この日は早朝からヒエラポリス・パムッカレ観光。ホテルのあるカラハユット(Karahayit)の街は温泉町、そのすぐ南にあるのが石灰岩の丘陵地帯のパムッカレ。

「ヒエラポリス・パムッカレ」はトルコ西部にあるユネスコ世界遺産複合遺産)の登録名。パムッカレ(Pamukkale)とはトルコ語で「綿の城」という意味だが、石灰棚の丘陵地帯の名前であり町名でもある。一方、ヒエラポリス(Hierapolis)は2世紀頃存在したローマ帝国の都市の名称。

この地域は、パムッカレ(Pamukkale)の石灰棚という自然を見に来るのか、古代遺跡ヒエラポリス(Hierapolis)を見に来るのか、ホテルのあるカラハユット(Karahayit)あたりに温泉湯治に来るのか、その来訪目的は様々らしい。

パムッカレ(Pamukkale)の石灰棚の多くには温泉が流れ、田植えで水を張った白い棚田。早朝の事もあってか、棚田の水からは白い湯気が立ち上り、デニズリ盆地(Denizli)を挟んで遠くにはAK山やAkitas山を見渡せる美しい景色。

何と世界遺産にもかかわらず棚田の上を歩いても良いそうで、ビニール袋持参で足湯を兼ねて歩く人観光客が多かった。裸足になるため、ストッキングを避けるなど服装に留意すること、ビニール袋やタオルを準備することなど事前の注意まであったのは驚き。

石灰棚の反対側には、遺跡の残骸と言うか、瓦礫と言うか、そんな物が点々とした高原が広がる。なかば芝生に埋もれるような柱や壁の残骸の中で、かなり原型をとどめている建造物が、紀元2世紀ローマ五賢帝の3人目ハドリアヌス皇帝によって造られたヒエラポリスの劇場跡。この劇場跡は現役で、現在でも5000人程度のコンサートに利用されているとのことであった。観客席の最上段からの眺めは、石灰棚のそれを遥かに上回る素晴らしいものでしたので、高原の散歩を兼ねて上られる事をお勧めします。

また、この劇場の舞台部分には、西欧列強に持去られた物が多い中でも、細部に装飾を施された遺跡が残る。

ヒエラポリス遺跡群の劇場を解説した案内版は申し訳程度のものしかなく、しかもトルコ語と英語のみ。

劇場付近には売店はおろかトイレも何もないので、興味が深い人は事前に解説書物などを持参した方がより楽しめる。朝早かったこともあるのか、メインゲート付近でも、どこの観光地にもある日本語解説書を売る人や開いている売店を見かけなかった。

09:15 世界遺産複合遺産)「ヒエラポリス・パムッカレ」観光を残念ながら早々に切り上げ、コンヤ(Konya)の街に向けて中部アナトリア地方の500km近い横断を開始。

バスの中では現地人ガイドの興味深い解説が始まる。この時の話題は、バスの外に延々と広がる麦畑にランダムに点在する木についてだった。その木には「男性の玉座」と言う名前が付いており、畑で働くことと決まっている女性を喫茶店でチャイを飲んで暇を潰している男性が迎えに行く時の待合せ場所となる役目もあるとのこと。

この木の話からトルコ農村部の男性は働かないことへ転じ、街道沿いの喫茶店には働かないので何もやる事がない男ばかりがたむろしている、手に持っている数珠のようなものは宗教道具ではなく暇潰しの手慰み用品であるなどボロボロ。

そもそも、農閑期なのだろう女性も誰も畑には出ていない。時折目にする山羊の放牧、大工工事、車の整備工場にも男性ばかりで女性の働く姿も目にする事はなかった。バスの中は圧倒的に女性が多いことから「日本こそ女性の働かない国だ」と言いたかった男性もいたかも知れない。

11:00 ディナル(Dinar)という町のドライブインでトイレ休憩。この町の名物、固めのヨーグルトにたっぷりの蜂蜜をかけ、ケシの実をトッピングしたお菓子を食べる。この町の北にアフヨン(Afyon)という街があり、政府によって厳重に管理されている広大なケシ畑が続いているそうだ。アフヨンとはトルコ語でケシの意味だそうで、阿片(あへん)もアフヨンに由来する言葉だとか。

この間に通った道はグーグルアースの解像度が低いエリアで正確な場所が掴めないが、高原から山岳部に入りダムや渓流があるようだ。街道沿いの朽ち果てたようなレストランの看板に「ヤシャール(YASAR)の、ジャンル・アラ・バルック(CANLI ALA BALIK)」とある。YASARは人名で、BALIKは魚、CANLI ALA BALIKはニジマス類の魚名か?バスから見た気になるものをちょっと戻って確かめることが出来ないのはツアーの不便な所。

13:00 アクシェヒル(Aksehir)という街のドライブインの正面を飾るナスレッディン・ホジャの彫像。ナスレッディン・ホジャは、この街に縁の深いイスラム教裁判官(カドゥ)であり哲学者。逆さまにロバに乗るポーズがひとつのスタイルとなっている。これは、ある日男から「ロバにに後ろ向きに乗っている」と指摘されたことに対し、「ロバが逆を向いているだけなのです。」と答えたとされることに起因する。彼の逸話を読んでいると、日本で言えば「一休さん」に相当するキャラクターだが、漫画の一休さんは癖がないがこの人にはかなり癖がある逸話が多い。

15:45 コンヤ(Konya)に入ると、ホジャさんに変わって、踊る宗教家の彫像が目につく。これは、トルコを代表する神秘主義教団であったメヴレヴィー教団の踊りとのこと。

16:00 コンヤ市内のメヴレヴィー教団跡の博物館(Melavina musium)へ入場。30〜40分の見学の後、数分のバス移動で外壁のレリーフトルコ石で飾った尖塔が美しいと言われるインジェ・ミナーレ神学校(Ince Minare Medresesi)前で下車し外観のみを見学した。Ince(インジェ)=細長い、Minare(ミナーレ)=尖塔だとか。コンヤはシルクロードの西の終点の一つと言われる町であり、バスの窓から見る限りスカーフを付けた女性も多い。素朴な部分(共和国からイスラム原理主義?)も残っていそうな町を散策して見たかったが、都合1時間程度の観光後にコンヤ郊外のホテルにチェックイン。

コンヤ・リクソス・ホテル(RIXOS KONYA)は近代的な高層ホテルだが、コンヤ大学を核とした都市計画の失敗であろうか、砂漠の中の一軒宿の状態で近隣に街並みはない。ショッピングモールが隣接しており、スーパーマーケットもあるとのことであったが、立派なモール施設の中に小規模なスパーのみが営業を続けている。