不思議のトルコ・ツアー旅行の行程

ボスボラス海峡にトルコの国旗

2008年2月、阪急交通社の主催する「不思議のトルコ8日間」に子供と二人で参加した。このツアーの特徴は「ホテル全5つ星」、「朝昼晩15食付」、「世界遺産4つ」、「アンカラ特急の一等寝台車に乗車」など盛り沢山の内容でモニター旅行と称され、この時期10万前後と格安の料金設定がされたものだった。オプションもイスタンブールベリーダンス7000円/人のみ。これ以外の費用は、悪評高いサーチャージが1人22000円で出発時の成田空港団体カウンターで現金払いのみと言った内容。

【1日目】
成田空港から、アエロフロート・ロシア航空のSU576便(13:00成田発で10時間25分)に乗りモスクワを目指す。途中、飛行機は北朝鮮を避け中国国境をかすめる様にロシア領上空を飛び、ロシア連邦の首都モスクワにあるシェレメーチエヴォ国際空港(SVO)に到着。5時間待ちのトランジットの後、同じくアエロフロートのSU205便(22:25モスクワ発で2時間55分)に乗り、翌日00:30にトルコ・イスタンブールアタテュルク国際空港(IST)に到着。少し早めの朝07:30に世田谷の自宅を車で出発してから丁度23時間の大移動で、お疲れ、お疲れ。慌しく空港内の両替所で2万円をトルコリラに両替後、空港と市街の中間にあるホテル「Barcelo Eresin Topkapi バルセロ・エレシン・トプカピ」に向かう。初日はこれで終わり、当然ながらホテルでは寝るだけとなった。(寝れた人はまだ幸せ! 寝ることもできなかった人も多かったらしい・・・)

【2日目】
翌朝、モーニングコールは06:00、ビッフェスタイルの朝食後08:00出発。関西国際空港からタシケント航空経由でイスタンブール(Istanbul)に入った組とここから合流しバスは丁度40人、それに両方の日本人添乗員と現地ツアー会社である「DORAK TOURS /ドーラク・ツアーズ」からのトルコ人男性ガイドと運転手の4人が加わりバス満席の大団体ツアーとなる。この日の観光はトロイ遺跡。イスタンブールからヨーロッパ側のガリポリ半島(Gallipoli)を通ってダーダネルス海峡(Dardanelles)へ向かって陸路を西南へ進む。このダーダネルス海峡はチャナッカレ海峡(Canakkale)とも呼ばれボスポラス海峡(Bosporus)とともにヨーロッパとアジアの境界をなす。途中の景色はギリシャによく似ているそうで、オリーブ畑が広がる緩やかな丘陵の左手にマルマラ海が見え隠れする美しい風景を見ることができる。

9:30 ドライブイン「AYDIK RESTAURANT CAFE」でトイレ休憩。ここは、ガソリンスタンドをベースに、有料トイレ、レストラン、喫茶、土産、コンビニなどがある大規模なドライブインで、専用のドメインを持ったウェブサイトまである。トイレは無料の店もあったが、入口で1人に付き0.5〜0.75トルコリラを払うシステムが多い。チップと言うより明確な料金所があり釣銭も大丈夫なので簡単。どのツアーでも女性の参加者が圧倒的に多く女性トイレは大混雑している所が多い。男性が働かないトルコ農村部と「日本は真逆」との声あり。
http://www.aydik.com/index.html

12:00 朝は心配されていた海霧も解消されエジェアバットの港(Eceabat)から1時間毎に出航するフェリーに乗船、アジア側のブラッド・ピット主演の映画「トロイ」で使われたトロイの木馬像もあるチャナッカレ港(Canakkale)へは30分ほどで渡ることが出来た。チャナッカレは大学もある大きな街、その近郊にある「KOLIN HOTEL」で昼食後、45分ほどで小高い丘の上にあるトロイ遺跡に到着。有名なトロイ遺跡と言っても、当のシュリーマンを始め西洋列強に持ち去られ、ここには残骸が多い。
観光後、オリーブの産地として知られるエドゥレミット(Edremit)のドライブイン「KAPTAN TROi」でトイレ休憩とオリーブ石鹸土産の買物。この後もオリーブ石鹸土産には度々出会うことになる。玉石混合なのだろう出会ったものでは1個が1ドルから6ドルまでと価格も外観も様々だった。きっと効能も様々なのだろう。
その後、更に南下しアイワルク(Ayvalik)の街はずれ、エーゲ海沿い建つ夏のリゾート「グランド・テミゼル・ホテル(GRAND TEMIZEL HOTEL)」に到着した。真冬の2月で季節外れと言うものの、日本人旅行客を乗せた団体バスで玄関先は満車状態。ちょうど夕刻18:30、部屋のベランダからエーゲ海に沈む夕陽を正面に眺めることが出来て感激した。

【3日目】
06:00 添乗員がまとめて依頼してくれるモーニング・コール(Wake-up Call)で起床。アイワルク(Ayvalik)郊外のエーゲ海沿い建つグランド・テミゼル・ホテル(GRAND TEMIZEL HOTEL)前のビーチからは朝日が美しい。干満の差の少なそうな波打際には「アマモ」らしき海藻が群生しており、メバルイカナゴなど雑魚の激減した今の瀬戸内海と比べて羨ましい限りの好環境だ。
グランド・テミゼル・ホテル(GRAND TEMIZEL HOTEL)から南に1時間ほど走った所で、噂に聞くトルコ石の土産店「AGAD」に拉致され閉じ込めに合う。日本語が上手なうえ美形のトルコ女性に囲まれ「これホンモノ、トルコ石、奥様にドゾ!」攻撃を連発。何とかトルコ石からは逃れたものの、結局、店内に2つだけ置いてあった「海泡(かいほう)石のパイプ(別名をメアシャムパイプ)」を$240でクレジットカード購入するに至る。
海泡石(Meerschaum)はセピオライトと言われる鉱物の一種。トルコ西部にあるエスキシェヒル(Eskisehir)地方が世界最大の産地である。メシャムパイプは、その優雅さだけでなく、多孔質な素材がニコチンを吸収するためか、まろやかなスモーキングからパイプの女王と讃えられている。使い込んでいくうちにパイプの色が、本来の乳白色から琥珀色へと変わり、いっそうの美しさを創り出していくそうだ。しかし、メシャム原石によっても異なるようだが、琥珀色になるまでには早いもので半年ほど、遅いもので数年もの年月が必要とのこと。
※石膏を混ぜた練物で成型した偽物では色は変化しないらしい。

このお店の場所はベルガマ(Bergama)郊外に位置し、周囲はロバに乗った御爺さんがいるようなのどかな麦畑が広がる。この先にあるベルガモ遺跡には、紀元前3世紀頃にぺルガモン王国(Pergamon)が興りヘレニズム文化が栄えたことから、トラヤヌス神殿や図書館などが残るアクロポリスや、ギリシャの医神アスクレピオスに因んだ総合医療施設アスクレピオンの遺跡など有名な遺跡が残る。トルコ石土産に時間を取られ一切の観光は出来なかったにもかかわらず、ツアー客からは別段の文句も出ず「格安ツアーだから・・・」と達観する人が多かったのには正直驚いた!
その後、大都市イズミル(Izmir 古くはスミルナ(Smyrna)と呼ばれた)の街を遠巻きに眺め、高速道路沿いのショッピング・モールに、大規模な「IKEA」が進出していることに驚きながらバスは南下を続けた。高速道路のサービスエリアでトイレ休憩を挟み、エフェス遺跡(Efes又はエフェソス)の観光拠点となるセルチュク市(Selcuk)の「ULUSOYレストラン」で、シシケバブシシカバブ)料理で遅めの昼食をとる。ちなみに、ベルガマ遺跡のすぐそばにもセルチュク(Selcuk)と言う町はあるが、ここはイズミル県にあるエフェス遺跡(Efes又はエフェソス)の観光拠点もセルチュク(Selcuk)市である。
エフェソス遺跡のみの観光を終え、ほんの10分程でキルシール(KIRCILAR)ブランドで皮製品を製造直売するレザーアート(LeatherArt)なる店で本日2回目の閉じ込めに遭う。ここでは、お客も参加するファッション・ショーが無料のチャイ付きで楽しめたが、$1000前後の皮ジャンや皮コートに興味が沸くことはなかった。売場内は一見すると出口がわからないが、商売の邪魔をしないように小声で頼むとすぐに外に出してもらえ、小鳥の飛び交う綺麗な庭を堪能することができた。更に、セルチュク要塞(旧アヤスルク Selcuk Castle)や聖ヨハネ教会(St. John Basilica)を見ずに閉じ込められた皮製品の店の外からは、遠くにアヤスクルの丘を望むことができ500mmの望遠レンズをもって撮影することに成功した。
その後はヒエラポリス遺跡観光の拠点パムッカレ(Pamukkale)の町を目指して東進。Sultanhisar, Atçaという町のドライブインでトイレ休憩を兼ねて「ピスタチオ入り牛皮の御菓子」と言うべき地元のお菓子「ロクム」を買う。
「1箱$6、10箱で1箱オマケ!」
事前にバス内で配られた試供品が口に合ったためか、たまたま居合わせたドイツ人観光客も大笑いするほど皆で懸命に買い込んだ。

次に通ったアイドゥン(Aydin)の町は、イチジクが特産と言うだけあってグリーンベルトに青銅で出来た無花果のモニュメントが置かれ、イスラム教の教会が見え隠れする綺麗な町だった。

やっとのことで、温泉保養地パムッカレ(Pamukkale)にあるスパ・ホテル・コロッセア・テルマル(又はコロッセア・サーマル SPA HOTEL COLOSSAE THERMAL)に19:30ごろ到着。
夕食後の21:30からベリーダンス・ショウがホテル内のバーで開催された。フロント付近に飾ってあった写真通りのブロンドの若い美人が出演し、ドリンクのみ有料で特別なチャージもなく良心的。


【4日目】ヒエラポリス・パムッカレ観光
08:00 この日は早朝からヒエラポリス・パムッカレ観光。ホテルのあるカラハユット(Karahayit)の街は温泉町、そのすぐ南にあるのが石灰岩の丘陵地帯のパムッカレ。
「ヒエラポリス・パムッカレ」はトルコ西部にあるユネスコ世界遺産複合遺産)の登録名。パムッカレ(Pamukkale)とはトルコ語で「綿の城」という意味だが、石灰棚の丘陵地帯の名前であり町名でもある。一方、ヒエラポリス(Hierapolis)は2世紀頃存在したローマ帝国の都市の名称。
この地域は、パムッカレ(Pamukkale)の石灰棚という自然を見に来るのか、古代遺跡ヒエラポリス(Hierapolis)を見に来るのか、ホテルのあるカラハユット(Karahayit)あたりに温泉湯治に来るのか、その来訪目的は様々らしい。

パムッカレ(Pamukkale)の石灰棚の多くには温泉が流れ、田植えで水を張った白い棚田。早朝の事もあってか、棚田の水からは白い湯気が立ち上り、デニズリ盆地(Denizli)を挟んで遠くにはAK山やAkitas山を見渡せる美しい景色。
何と世界遺産にもかかわらず棚田の上を歩いても良いそうで、ビニール袋持参で足湯を兼ねて歩く人観光客が多かった。裸足になるため、ストッキングを避けるなど服装に留意すること、ビニール袋やタオルを準備することなど事前の注意まであったのは驚き。

石灰棚の反対側には、遺跡の残骸と言うか、瓦礫と言うか、そんな物が点々とした高原が広がる。なかば芝生に埋もれるような柱や壁の残骸の中で、かなり原型をとどめている建造物が、紀元2世紀ローマ五賢帝の3人目ハドリアヌス皇帝によって造られたヒエラポリスの劇場跡。この劇場跡は現役で、現在でも5000人程度のコンサートに利用されているとのことであった。観客席の最上段からの眺めは、石灰棚のそれを遥かに上回る素晴らしいものでしたので、高原の散歩を兼ねて上られる事をお勧めします。
また、この劇場の舞台部分には、西欧列強に持去られた物が多い中でも、細部に装飾を施された遺跡が残る。

ヒエラポリス遺跡群の劇場を解説した案内版は申し訳程度のものしかなく、しかもトルコ語と英語のみ。
劇場付近には売店はおろかトイレも何もないので、興味が深い人は事前に解説書物などを持参した方がより楽しめる。朝早かったこともあるのか、メインゲート付近でも、どこの観光地にもある日本語解説書を売る人や開いている売店を見かけなかった。

09:15 世界遺産複合遺産)「ヒエラポリス・パムッカレ」観光を残念ながら早々に切り上げ、コンヤ(Konya)の街に向けて中部アナトリア地方の500km近い横断を開始。

バスの中では現地人ガイドの興味深い解説が始まる。この時の話題は、バスの外に延々と広がる麦畑にランダムに点在する木についてだった。その木には「男性の玉座」と言う名前が付いており、畑で働くことと決まっている女性を喫茶店でチャイを飲んで暇を潰している男性が迎えに行く時の待合せ場所となる役目もあるとのこと。
この木の話からトルコ農村部の男性は働かないことへ転じ、街道沿いの喫茶店には働かないので何もやる事がない男ばかりがたむろしている、手に持っている数珠のようなものは宗教道具ではなく暇潰しの手慰み用品であるなどボロボロ。
そもそも、農閑期なのだろう女性も誰も畑には出ていない。時折目にする山羊の放牧、大工工事、車の整備工場にも男性ばかりで女性の働く姿も目にする事はなかった。バスの中は圧倒的に女性が多いことから「日本こそ女性の働かない国だ」と言いたかった男性もいたかも知れない。

11:00 ディナル(Dinar)という町のドライブインでトイレ休憩。この町の名物、固めのヨーグルトにたっぷりの蜂蜜をかけ、ケシの実をトッピングしたお菓子を食べる。この町の北にアフヨン(Afyon)という街があり、政府によって厳重に管理されている広大なケシ畑が続いているそうだ。アフヨンとはトルコ語でケシの意味だそうで、阿片(あへん)もアフヨンに由来する言葉だとか。

この間に通った道はグーグルアースの解像度が低いエリアで正確な場所が掴めないが、高原から山岳部に入りダムや渓流があるようだ。街道沿いの朽ち果てたようなレストランの看板に「ヤシャール(YASAR)の、ジャンル・アラ・バルック(CANLI ALA BALIK)」とある。YASARは人名で、BALIKは魚、CANLI ALA BALIKはニジマス類の魚名か?バスから見た気になるものをちょっと戻って確かめることが出来ないのはツアーの不便な所。

13:00 アクシェヒル(Aksehir)という街のドライブインの正面を飾るナスレッディン・ホジャの彫像。
ナスレッディン・ホジャは、この街に縁の深いイスラム教裁判官(カドゥ)であり哲学者。
逆さまにロバに乗るポーズがひとつのスタイルとなっている。これは、ある日男から「ロバにに後ろ向きに乗っている」と指摘されたことに対し、「ロバが逆を向いているだけなのです。」と答えたとされることに起因する。彼の逸話を読んでいると、日本で言えば「一休さん」に相当するキャラクターだが、漫画の一休さんは癖がないがこの人にはかなり癖がある逸話が多い。

15:45 コンヤ(Konya)に入ると、ホジャさんに変わって、踊る宗教家の彫像が目につく。これは、トルコを代表する神秘主義教団であったメヴレヴィー教団の踊りとのこと。

【5日目】


【6日目】


【7日目】


【8日目】